2020年4月にJUASにおけるプライバシーマークの審査機関であるセキュリティセンター長に就任、6月に常務理事就任。継続してセキュリティセンター長として審査業務部門の全体を統括する。2022年6月より現職。
スケッチブック片手に「西へ、西へ」
――山形県山形市出身です。山形にいたのは高校卒業までで、東京での暮らしが長くなりました。中学から軟式テニスをやっていて、高校でも頑張ろうと、全国大会に出場できる可能性のある公立高校に入学しました。でも入学当初、担任の先生から「お前はインターハイに出るなんて無理」と言われた。それが悔しくて猛練習し、結果的にインターハイに出ましたね。
――大学では情報科学を専攻していました。ゼミでは、当時はまだ有名ではなかった屋久島の森林について、林野庁からデータを集めたりしながら研究していました。フィールドワークに行きたかったけれど、お金がない。「お金がないから行けない」とこぼしていたら、先輩が「じゃ、ヒッチハイクで行ってみたら?」と。それを真に受けて、東京から鹿児島まで本当にヒッチハイクで行きましたよ。スケッチブックを持って、まずは名古屋まで、そして、西へ西へと向かいました。屋久島についた後は、好きだった作家の方に連絡を取って、その方が紹介してくれた島の方々にお世話になりながら、2週間くらい過ごしました。見ず知らずの人間を受け入れてくれた島の皆さんに感謝しています。今だったら考えられないですね(笑)。
本音の対話を繰り返し、ともにゴールを目指す
●卒業後はどんなお仕事をされたのですか。
――情報科学系を学んだこともあって、卒業後は、財団法人から分離した企業にシステムエンジニアとして勤務しました。業務アプリケーションの設計や構築、プラント関係のシステム構築のプロジェクトマネージャーなどを経験し、ちょうど30歳のときにお声掛けいただいて転職しました。30代は開発プロジェクトのプロジェクトマネジメントの仕事が中心でした。どちらかというと、炎上プロジェクトの火消しの役割でしたね。厳しい状態での途中参加が多く、たまには最初から開発したいなと思いながらも、お客様やメンバーと対話を重ね、必死に向き合っているうちに、いつの間にかその手の依頼が増えていました。
●印象に残っているお仕事は?
――30代前半の頃、計画より1か月前倒しで、システムを納品することができました。何の問題も起こらないことを確認し、早々に休みをとっていいということだったので、年末年始休暇の前から家族で海外旅行に行きました。元旦の夜中に帰宅すると、電話が鳴っていました。先方の工場の生産ラインが増設される緊急の仕様変更でした。さすがに、もう納品もしていたし・・と思いましたが、ここは先方の要望にお応えするため、3人のメンバーで、わずか1日半で大規模改修を行って、最低限のテストで本稼働ギリギリに納品しました。多少のことはありましたが、二週間で大規模システムが安定稼働したことが記憶に残っています。
JUASならではの信頼関係は、今も続く仲間に
●JUASとのかかわりは、いつからですか?
――49歳で社長になり、 2008年からJUASのIT企業TOPフォーラムに参加しました。11年参加したことになります。情報グループ企業の社長が20名ほど集まり、今の課題などを話しました。JUASならではの信頼関係があったので、そこでしかできない貴重な情報交換の場でしたね。とても有意義でした。今もお付き合いしている仲間もいます。
●6月からJUASの専務理事に就任されました。想いをお聞かせください。
――JUASでは、当初プライバシーマークの審査機関であるセキュリティセンターで勤務しました。セキュリティセンター長に就任したのが2020年4月、コロナ禍と重なったスタートでした。そのうえ、仕事自体も初めて聞く用語が溢れており、慣れない中で在宅勤務も併用し、なんとかやってきました。驚いたのは、すべてが紙中心の文化だったことですね。コロナもきっかけの一つですが、今、セキュリティセンターは業務改革・IT化を進め、さらなる審査品質の向上に向けて邁進中です。
2022年6月から専務理事として、セキュリティセンターに加え、会員の皆さんと接することが多い事業部にも関わることになりました。今後はコロナの影響を受けない活動はありません。元の形に戻るだけではなく、新しい形態のJUASを皆様と共にスタートさせていきたいと思っています。
「早く、正確に、美しく」
――「言いたいことは言う」ですね。言い争うということではありません。相手が年長者であっても、お客様であっても、正しいと思うこと、本質は主張しました。お客様と議論したこともたくさんありますが、後々、感謝されることも多かったです。お客様に喜んでいただけることが原動力になっていたと思います。妻との関係は、非勝三原則(勝たない、勝てない、勝ちたくない)を守り通していますけどね(笑)
仕事でいうと、「仕事にきちんと向き合う」ことですね。いろいろとご縁をいただいて、様々なお仕事をしてきました。あまり気が進まないと思った仕事でも、受けた以上、「嫌がらないで、誰よりも早く、誰よりも正確に、美しく仕上げたい」と思っています。
●2022年はJUAS30周年ですね。今後のJUASでやってみたいことなどお聞かせください。
――DX、ITを推進する人の育成や教育、皆様の交流の場を広げていきたいと思います。会員企業にとどまらず、日本企業全体、日本全体に貢献できる協会でありたいと思います。
これからもJUASは、人材の交流と本音の意見交換を通じて、会員企業の皆様の課題解決に貢献し、皆様と一緒に素晴らしい未来を創っていきたいと願っています。
※掲載内容は2022年8月取材時のものです。
※インタビューはJUAS・姉川が担当しました。
・1962年設立の「日本データ・プロセシング協会」が前身。
1992年に組織を拡充・改組し、今の「日本情報システム・ユーザー協会」となる。
・主な活動:フォーラム、研究会、セミナー、イノベーション経営カレッジ、企業IT動向調査、JUASスクエア、プライバシーマーク審査
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