障害から1年、レジリエンス強化の未来像
●2020年10月、東京証券取引所(以下、東証)で全銘柄の株式が終日売買停止となったシステムトラブルが発生しました。いま改めて振り返って、感じていることや学んだことがあれば教えてください。
――技術的な対応はもちろんですが、もう少し高いレイヤーで今回のシステムトラブルを捉えて、何を学ぶかが大切だと思っています。
システムは可能な限り止めないように開発・運用することが大前提であり、我々は「ネバーストップ」というスローガンの下で取り組んできました。しかし、他方で必ずインシデントは起こる。その上で、「ネバーストップ」と同じくらい、システム全体の「レジリエンス(障害回復力)」を重視する必要があることに改めて気付かされました。
もちろん、レジリエンスの重要性は認識していたつもりでしたが、まだまだ足りない部分があったのだと思います。ですから、まず売買システムだけではなく、我々日本取引所グループ(以下、JPX)の中でシステム全体のレジリエンス強化、万が一止まったときの障害回復力の強化が大事だと考えています。
――さらにいうと、今回の障害も後で振り返って、JPX全体のITがさらに飛躍するための転機としなければならないと考えています。
過去2005年と2006年に東証において立て続けに大規模障害が発生し、社会から大きなご批判をいただきました。この出来事が今に続くJPX全体のシステム態勢づくりの大きな転機となっています。私も当時IT企画のポジションにいたのですが、後から振り返れば、当時の東証は自分たちがシステム装置産業になっていることを十分に自覚していなかったと感じます。
では、今回の障害から何を学ぶか。まだ結論には至っていませんが、私の仮説は、開発・運用や障害が起こったときの対処まで、JPXのシステム単体ではなく周りのとのつながり、つまりマーケットの機能全体を一つのエコシステムとして捉えていく必要があるということです。システムがJPXという個社ベースのものではなく、様々なステークホルダー、それこそ個人投資家も含めて有機的につながっていく事が、万が一不幸な事態が起こったときも、エコシステム全体の中でサービスを復旧あるいは継続することにつながるのではないかと。
もう少し時間が経たないと、この仮説が正しいかどうかはわからないですが、今はそういう大きな変革の中にJPXもある気がしています。
「発注者責任」という視点の中で
――考え方のレイヤーが3つあります。1つは具体的に業務を委託する時の契約レベルの話。2005年以降、相当きっちりやってきました。今回もメモリ故障により切替ができなかった機器の設定はベンダーさんの責任だということは明確になっています。
2つ目は、発注者責任。システム品質を高めるためには、発注者側の関与度合いを高めることが非常に重要です。特に上流工程、要件定義から積極的に関与し、設計、テストまでベンダーと対話をして品質確認するなど、発注者責任を強く意識して開発標準を作っています。何かあったとき、我々発注者の責任は大きいですからね。
3つ目は、市場への責任。市場を開設するのはJPXのコアコンピタンス、企業価値として最も重要なところであり、その責任は我々にあります。これは企業理念として全社員に共有されています。
●CIOである横山さんが、記者会見でシステムの仕組みを具体的に、自分の言葉で話していることに驚いた方も多かったと思います。CIOが押さえておかなければいけないポイントはどこにあるとお考えでしょうか。
――会社ごとに立ち位置も違うので一概には言えませんが、私自身は理系でもないですし、コードも書いたこともありません。一方、発注者責任という視点の中で、大きなプロジェクトであればあるほど、節目の会議体には全て関わっています。その中で、個々のプロジェクトの意義や苦戦した個所などは把握していますので、いざ何か起こったときもレクチャーを受ければプロジェクトの記憶がよみがえってきます。今回もそのような形で、ああいったお答えをしたというのが実態です。
今回の障害で大事だと思ったのは、システムトラブルによって業務にどういう影響が出て、それがお客様にどのようなご迷惑をおかけするのか、それをシステム部門の人間は常に忘れてはいけない、ということです。システム障害が、結果として業務にどう影響を及ぼすかを十分に押さえていないと、具体的な業務上の対処が後手に回ってしまいます。
ITによって価値をもたらす、それが醍醐味
●横山さんのキャリアについて伺いたいと思います。仕事が面白くなった、ステップアップしたなと思えた転機はいつ頃ですか?
――面白いと思えるようになったのは、ITが自社にとって価値を生んでいると実感できるようになった、ここ10年くらいですね。きっかけは2005年と2006年に発生させてしまった3回の障害です。それまでもIT部門にいてセキュリティやリスク管理などの仕事をしていましたが、自分が携わっているITが創造する価値というものを、あまり意識せずに仕事をしていました。
ですが、2005年に障害が起きた時に、ITが取引所のコアコンピタンスであることに、それまで気づいているようで気づいていないとわかった。逆に言うと、それ以降ITがコアコンピタンスなのだと自覚して仕事をするようになりました。そこからは、自社の根幹となるITの「基礎工事」からやり始めることになり、その中心となって仕事をしたことが自身の成長にもつながったと思いますね。そして2010年のarrowhead(アローヘッド:売買システム)の稼働へと実を結んでからは、やっとITが企業に価値をもたらしているなと、仕事が面白く感じられるようになりましたね。
――あと、JUASに参加したことも私の転機だと思います。JUASのIMCJ(イノベーション経営カレッジ)の第4期に参加しました。そのあともJUASに関わり続けて今に至っています。
IMCJに参加して個人的に良かった点は、異なる業界、異なる会社の、しかしながら総論としては同じような仕事をしている方とのお付き合いができたこと。そうすると、自分の会社の常識は世の中の常識ではないと気づく。そこに気づけたことが大きな転機ですね。
その後はJUASの理事をやらせていただいて、他社のCIOの方と接する機会が増えて、同じような悩みや苦労を伺うと、みんな苦労しているのだなと肩の力が抜けるんです(笑)。個人的にはそんな場があることが大きな実りと感じています。
先人から学んだこと~「過信でなく自信」「顧客第一主義」
――会社生活の中ではたくさんの先輩たちから、数えきれないくらい多くのことを学びました。直近では2005年以降、外部から招聘された方々と一緒に仕事が出来たことは財産ですし、たくさん学ばせていただききました。
――ある方は障害が発生した際に「反省すべきところは反省し、それでも自分たちの良い面には誇りを持ち、自負を持ってやる」ということを教えてくれました。誇りを持ちつつも、過信でなくて自信、そして謙虚さをもって取り組むべきだと。
2020年の障害の際、私も部下に「ITの組織としてもここ十数年の間に格段にレベルアップしている。反省すべき点は反省が必要だが、自信を無くす必要はない」と話をしました。知らず知らずのうちに影響を受けていたのだと思います。
――またある方からは「顧客第一主義」を学びました。かつてのJPXは「役所以上に役所だ」と言われるほど東証中心主義の面がありました。
その方は「投資家には魅力を感じてもらい、上場会社には日本の市場で上場してもらう」「証券会社に困りごとがあれば、それをITとして解決する」、「そうした力を結集することで、日本の証券取引市場が活性化し、日本経済を活性化させる」という使命感で仕事をされていた。今まで我々にはなかった視点でした。
そういった方々から学んだことが、CIOとなった今、直接にも間接にも大変役立っています。
私の考えるDX 「ITで未来の証券取引市場にどのような価値を提供できるか」
●では貴社に限らず日本のIT部門を取り巻く環境についてお考えをお聞きしたいと思います。DXについてどのようにとらえていますか?
――本来は企業ごとにそれぞれにあったDXがあるはずだと思います。その会社自身がどのように自らを変革させたいか、どのようにサービスを届けたいかが重要で、そのためにデジタルを使う。
私にとってのDXは、10年20年先の未来の証券取引市場を想像しながら、そのために我々がどのような価値提供をできるか、ということです。我々が何年先にどのような価値を提供するのか、そのためにどのような変革が必要か、というのがまずあって、そのために必要なデジタル/人材は何だろうという順で発想していく必要があると思います。
「DXを勉強しました」、「DX人材を採用しました」、が先に立つと、成果が出づらいと感じます。前向きな失敗は構わない。ただそのときも、やろうとしていた目的が明確であれば失敗の原因も明確になるので、失敗を糧に次のチャレンジをすればいい。逆に目的が明確でないと、失敗を気づきとして次につなげづらいという事が起こります。
●一般的に証券取引市場がディスラプトされることは想像しづらいのですが、社内では変革をしなければという危機感の程度はいかがでしょうか?
――JUASでご一緒するCIOの方々も、皆さんそれぞれ危機感を持っていらっしゃいます。
証券取引市場でいえば、米国でも欧州でも証券取引市場同士でも競争があります。そしてそういった直接的な競争以上に、GAFAが提供している広義の「価値交換」というサービスが競合になりうると考えています。株式市場は「株とお金を交換する場所」であって、注文を一か所に集めてオークションのように値付けしています。
株式に関しては法律で様々な規制があるので、「明日からSNS上で株式交換します」とはならないですが、ITという技術的な視点でいえば、かなり肉薄しているわけです。
だから何かのきっかけで、別のプラットフォームに取って代わられたとしても、それが国民の社会経済に資するのであれば、そっちの方が良いとなるはずです。5年先10年先に備えた我々のトランスフォーメーションの在り方を、今から議論して進めておかないと、いざ大きな変化が来た時に対応できないと考えています。
デジタル人材の育成は課題、でも日本流のスタイルがあってもいい
●今、日本企業のIT部門の課題は何でしょうか?
――やはり「デジタル人材」がキーワードの一つだと思います。デジタル人材への直接的な答えはないですが、デジタルトランスフォーメーションについて社内で議論する中で避けて通れないのは、日本のベンダーさんとの関係。
一般的な話になりますが、日本のベンダーへの過度な依存やいわゆる丸投げ体質、あるいは日本のIT人材の7割がベンダー企業にいる、ということに対して批判的な声が多いのも事実です。でも、私は一方向的に批判することでもないと思っています。
――ユーザー企業はデジタル化によって「価値を創造すること」が目的ですから、その具体的な実現にはアジリティ(機動性)が必要になる。ですから目的を持って社内の人材を育成することも必要だと思いますが、一方でベンダーさんにいらっしゃるIT人材の力も借りて、トランスフォーメーションを成し遂げることこそが大切だと思います。
そして、我々がベンダーさんと協力して価値を生むためには、次の3つの準備が大事だと感じています。
まずはユーザー企業自らが、どんな価値創造をするかという目的をしっかりと持った上で、必要な人材を育成し、物事を「決めきる」ことができる体制を作ること。
次にベンダーさんも、ユーザーのトランスフォーメーションニーズに対応できるような人材に、少しずつシフトしていただくこと。そこは多くのベンダーさんが今変革のメッセージを打ち出されているので、私はすごく期待しています。
そして最後に、そうした考え方をベンダー企業と我々ユーザー企業とが共有するということ。ユーザーだけでもベンダーだけでもできません。だから、目的やそのプロセス・技術をユーザーとベンダーが意識共有して共創できれば、トランスフォーメーションは実現できると私は期待しています。
最後に、JUASへ一言
――総論で言えば、もうちょっと広く発信力を強めたほうがよいのではないかという気もします。反面、担当者、CIOなど各レイヤーの中で濃密な情報交換だとか時宜に即した情報提供をタイムリーにしていただいているのもありがたいなと感じていますので、それもこのまま強化してもらいたいかな。部下も面白がって参加していますよ。
●「ウォームハート・クールヘッド」を地で行くような横山隆介氏、鋭いご意見の合間に見せてくださる、「とびっきりの笑顔」が魅力的でした。
※ 掲載内容は2021年11月取材時のものです。
※インタビューはJUAS・三宅、姉川が担当しました。
・1962年設立の「日本データ・プロセシング協会」が前身。
1992年に組織を拡充・改組し、今の「日本情報システム・ユーザー協会」となる。
・主な活動:フォーラム、研究会、セミナー、イノベーション経営カレッジ、企業IT動向調査、JUASスクエア、プライバシーマーク審査
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