リレーインタビュー

第7回 東レシステムセンター 大橋 陽子氏 インタビュー

出会った奇跡に誠実に、自分らしいやり方で

大橋 陽子氏

株式会社東レシステムセンター 取締役 大阪事業所長

第一線で活躍する方々の経験と哲学をじっくりと伺うリレーインタビュー。 今回は、次の時代の新たな戦略作りや人材育成に挑む大橋 陽子氏に、ご自身の仕事の原点やさらなる女性活躍にむけたメッセージを伺った。

東レ株式会社入社後、東レ情報システム部門および東レシステムセンターにて本社および工場の情報システムを担当。2015年より東レ情報システム企画部長として情報システム戦略企画に携わる。2019年東レグループマレーシア地区情報システム担当を経て、2021年より現職。東レグループから東レシステムセンターへの新しい役割期待に向けた業務へのシフトやそれに伴う新たな人材育成戦略作りに奮闘中。JUASには2004年よりIT部門経営フォーラム、グローバルフォーラム等に継続的にご参加。現在は企業IT動向調査 調査部会に副部会長としてご参加。

反発は真剣に考えてくれている証

●今のお仕事を始められたきっかけを教えてください。
――滋賀出身の私にとって、東レはなじみ深い存在。そして化学繊維から出発し、高分子化学技術を生かして様々な分野で社会に貢献しているところは、化学専攻だった私にはとても魅力的でした。

そして女性が長く働ける会社で働きたいと思っていました。ちょうど男女雇用機会均等法ができたころの入社ですが、当社では当時すでに産前産後休暇や、育児休業などの制度が整っていました。

情報システムに配属になったのは、私が面接で「長く働きたい」と話している中で、人事の方から勧められたことがきっかけです。東レの中でも情報システム職はフレックスタイム制度や産休、育休の制度が整っており、すでに女性マネージャーとして活躍している大先輩もいました。コンピュータが得意なわけでもないけれども「とにかくやってみよう!」と決意して、飛び込みました。

●印象に残っているお仕事は?
――30歳位で取り組んだ複数拠点横断の工場コンピュータ再構築は、私の原点です。当時はデータセンターに全社の情報を扱う大型コンピュータがあり、各生産工場から専用通信回線を介して情報が集まってくる仕組みでした。大きい工場拠点にはメインフレームがあって、各拠点のオフコンに専用回線で繋がっていました。それらをLANとWANを使ってWindowsサーバーに全部置き換え、ファイルの集配信の仕組みを大刷新することでダウンサイジングを図ったプロジェクトでした。

実務チームのリーダーとして、関係する拠点・社員、ベンダーさんとの関わりも多く、これまで経験したことのない大きな仕事。全拠点の工場長や現場の方々への説明行脚にも回りました。でも、最初は猛反発を受けました。ファイルの集配信の仕組みが全部変わるので、本社側のファイル転送の仕組みも全て入れ替えねばならなかった。ベテランの方ほど納得いただけるまでが大変で、話しに行ったらコテンパンにされたこともあります。

でも反発が大きいというのは、それだけ真剣に考えてくれている証。最初は「ごり押ししてしまえるかなあ…」とも思っていたんですが、できなくって(笑)。真剣な方々に、不誠実なことはできない。急に電話がかかってきて怒られると、「今から行きます!」とすぐ電車に乗って飛んで行ったり。でも、さぞ怖い顔だろうと思ったら、「あ、来たな」とニコニコ笑って待っていてくださいました。上司にも「勝手に出張するな」とは一度も言われたことはなく、「よし、行ってこい」という感じでした。本当に恵まれた環境でしたね。

そうやって足繫く通っているうちに、一生懸命な人に応援を惜しまない会社の風土もあるのだと思いますが、「頼りないけど一生懸命やっているな、一緒にやってやるか」と思ってくださったのかな。最終的には現場も「よし、やろうか」と合意してくださった。

――そして、それをもとに副社長に決裁をいただいたときも忘れられません。当時の上司が「決裁をもらいにいくから、ついてこい」と。私は実務のリーダーでしたので本来は同席する立場ではなかったのですが、そこで上司が決裁をとっている姿や、経営者がどう考え、指示しているかを目の当たりにできたことは、大きかったですね。

いかに自分事にできるか、してもらうか

――その後も計画通りにいかないことが山ほどありました。途中、出産で数か月離脱したのですが、その間ピンチがあっても他のメンバーが頑張ってくれていました。そして各拠点のマネージャーが中心となって、いかにやり遂げるか知恵を絞り、お金や人を工面したり、一生懸命やってくださったんです。私の計画が甘くて、そんな苦労を皆さんにさせてしまったという反省もあります。ですが、みなさん自分事として行動をしてくださった。みなさんにとても感謝しています。

――今の時代、変革したい、変わらなければいけない、という危機感は多くの日本企業が持っていると思います。海外駐在時に、現地の経営トップが毎週発信している社内メルマガのある日のタイトルは「明日私の仕事はありますか」。これに私もハッとして。今は仕事があるからあれこれ悩んでいるけれど、そもそも会社や仕事がなくなることだってある。「今変わらなかったらこの仕事はなくなる」とどれだけリアルに感じられるか。本当に、この仕事がいつまでもあると思うな、なんです。

もうダメだ!は行き止まりではなく次への入り口

――ダウンサイジングプロジェクトの中には、失敗もありました。パッケージを導入したもののいざ使ってみると「やっぱりだめだ!」と認めざるを得ない。拠点のマネージャーに相談したら「よし、工場長に一緒に謝りに行ってやる」と。工場長に「こういう理由でだめです、だから止めさせてください。ごめんなさい!」って頭を下げました。見通しが違って失敗だ、と確信したら潔く謝って止めることも、時には必要なのだなと。眠れない日々が続いたけれど、「こういう失敗は繰り返さないぞ」と後に繋がった経験でした。

――またある時には、「何をやってもうまくいかない」という話を聞いてもらった人がいて。そしたら「もう逃げちゃえ」って(笑)。「ああそうか、最後には逃げていいのだ」と。いまこの仕事でどん底だけれど、大丈夫、この仕事で命を取られることはないから、って。そう腹をくくってみると、実は色々な道があることに気づきました。失敗を認めることも大事だし、ごめんなさい、で次へ進むことも大事。助言をくれる人だって、きっと見つかるんです。

昇格は世界を広げるチャンス。一歩踏み出してみて

――2015年に部長昇格のチャンスが巡ってきました。東京への単身赴任になるので、「ああ、責任も重そうだし、忙しそうだし、家族とも離れてしまうし…」。でもいざ取り組んでみると、このチャンスをいただいて本当によかった。上位職になるほど裁量の幅が大きくなって、できることが増えていく面白さを実感しました。「なぜ今こうなのだろう、あっ、変えるのは私か!」って(笑)。

例えば予算にしても、従来の枠を超えてでもやるべきテーマが増えてきたときに、予算枠に収まらないからと先送りにせず、上位の方に「なぜやるべきか、どれくらいお金が必要なのか」をとことんご説明して、必要な予算を獲得するべきだ、とずっと思っていました。

東レグループへのMicrosoft365の導入を含むIT中期経営計画課題検討の時のことです。それまではIT中計を東レ本体の経営会議にかけていませんでした。でも、グループ各社を巻き込んだ大規模な取り組みであり、経営にインパクトを与えることから、役員の方々にこの必要性を、投資も含めて認識してもらわねば先に進めない。そこで上司と相談して経営会議に上申するようにしました。これも上位職になったからこそやれたことです。そして幸い「やろうやろう」と共鳴してくれる方たちがいてくださったおかげ。

最近、比較的若い方で「管理職やりたくないな」という意見もあると聞きます。大変かもしれないけれど、昇格するチャンスがあったら頑張って一歩踏み出してみると、わくわくしたり、よかったなと思うことがきっとあるということをお伝えしたいです。

「私は私のやり方でいいんだ」

●これから女性がもっともっと活躍していくために、メッセージをお願いします。
――私の時代はまだ女性管理職も少なくて、どうふるまったらいいのか悩みました。男性の先輩をまねようとしても、家庭もあるから時間の使い方も違うし、体力的にも人脈の広さも太刀打ちできないから、同じようにはできない。すごく焦ったのですが、「私は私のやり方でいいんだ」と。管理職はこうあるべき、とか全然気にしなくていい。

今、ロールモデルになる先輩が身近にいない方もいると思います。でも自分なりに考えながらやっていったらそれでいい。失敗してもそこから学べばいいんです。もがいて頑張っていれば助言をくれる出会いも必ずある。私の場合はちょうどJUASのフォーラムに参加し始めて、先進企業の方やすでに取り組んでいる企業の方に率直に質問し、助言してもらえたのもありがたかったですね。

生きている間に一体何人に会い、何人と話ができるのだろう

●これからの大橋さんの夢や、やりたいことは何でしょうか。
――これまで本当にたくさんの人に迷惑もかけたし、助けてもらってきました。「一期一会」は私の好きな言葉。人と人とのつながりとか、出会った奇跡を大切にしようと心がけています。昔お仕事でご一緒した方とは機会があれば無理してでも会おうと思いますし、JUASのフォーラムも参加すると新しい出会いがある。生きている間に一体何人に会って、何人とお話しできるのだろうと思うと、明日生きているかわからないのですから、一つ一つの出会いを大切にして、目の前に相対する人に悔いが残らないように、誠実でいたいなと思います。今年からJUASの企業IT動向調査の調査部会も声をかけていただいて、不安もあるけれどやってみたら、また新しい世界に出会えました。これからはこれまでの経験や、出会った方々から学んだことを次の世代の人材育成という形でつないで、社会に貢献したいと思っています。

心理的安全性がJUASの魅力

●JUASとはどういう場所で、どうなってほしいでしょうか?
――JUASって心理的な安全性が確保されている場所ですね。ユーザー企業同士の集まりなので、利害関係がない。同じ問題意識を持った人が情報交換によってヒントを得る場なので、皆さん本音ベースで踏み込んだ話ができる。他社の事例に気づきを得て、次につなげていけるんです。

JUASのフォーラム当日に会社で不測の事態があって「行くのやめようかな」と思うときも、「でもこんな時だからこそ!」と参加してみると「ああやっぱり来てよかった」って。自分が直面している課題に対して、間接的なヒントをいただいたり、ワクワクする話をお聞きして前向きになれたりしました。これからJUASに参加する方にも、ここはオープンに情報を出し合って、議論して、それぞれの気付きを持ち帰る場なのだ、という意識で、出会いを大切に積極的に参加していってほしいなと思っています。

※掲載内容は2022年8月取材時のものです。
※インタビューはJUAS・五十井、鈴木が担当しました。

<JUASとは>
・1962年設立の「日本データ・プロセシング協会」が前身。
1992年に組織を拡充・改組し、今の「日本情報システム・ユーザー協会」となる。
・主な活動:フォーラム、研究会、セミナー、イノベーション経営カレッジ、企業IT動向調査、JUASスクエア、プライバシーマーク審査

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