すべては“感電”少年からはじまった
――子どものころ家電を分解したりプラモデルを組み立てたりすることが好きでした。どう動くのかが見たくて、家電を分解したままコンセントに刺して感電、なんてしょっちゅう。小2の時は鉄塔の作業員さんに憧れて、ソフビの人形をもって電信柱の天辺まで登ったのはいいのですが、降りようと思ったら怖くて、そのまま人形を天辺にさしたまま降りてきました。この時高所恐怖症だと気づいて、鉄塔に上る仕事はあきらめました(笑)。
弱電系、いわゆるコンピューターをやろうと思ったのは大学の時。大学4年の時には非破壊検査のプログラミングや画像解析を研究していました。
新しい分野に出会える幸運
●横井さんは情報子会社からキャリアをスタートされて、社内のビジネス部門側として次々と新規事業の立ち上げに携わってこられました。きっかけは何だったのでしょうか?
――いい意味で「ダマされ」ですね(笑)。
入社してまず火力発電所で煙を制御するソフトウェアのプログラミングを担当しました。人命に直結するシビアな世界だったけれど、設計や要件定義とか、ソフトウェアの面白さにはまってしまって。
でもある日「ERP事業を社内でビジネスとして立ち上げるから来い」と。まだ日本語化されていなかったOracleや国産のERPを基幹系に適用したサービスを立ち上げました。幸いうまくいって、5人で始めた挑戦が事業化した時は嬉しかったですね。
次の異動はオープンソースの商用利用でシステムを構築する事業の立ち上げでした。まだLinuxがどういうものかもわからない、インストーラーも動かない。Oracleのインストールだけで1か月半かかる、トライ&エラーの連続。なぜ動かないのかわからないから、仕組みを丹念に調べるしかない。オープンソースって選択肢が多い分、何を作るかも見えないんです。手ごわいな、と思いました。
その次はデータ連携。SOA、BPMという概念が1990年代に出てきて、システムのサービス化という概念の普及もしながらビジネスをしていました。
そして、2000年代前半にはSOA用のミドルウェアのビジネスを手がけました。2年目に6人ほどのメンバーで3億円の仕事が取れてしまって、パートナーさんたちの協力を得ながら死に物狂いで取り組みました。
なぜか3年おきぐらいに新しい分野がやって来るんですよ。最初はどれも「ダマされた」と思って飛び込んでいくのですが、結局とことんやっちゃった(笑)。ふりかえれば、新しい分野に出会えたことはとても幸運だと思っています。
無限の可能性から「グランドデザイン」を設計する面白さ
●どんな状況でもとことん、ですね。何が横井さんをそうさせるんでしょうか?
――最初ERP事業のPMをやっていたころは、言われたことを淡々とやっていました。ギャップが出たら「はい、言われてないからこれは仕様変更ですね」と言っていました。でもオープンソースでお客さんと丁々発止をするようになって変わりました。オープンソースって当時新しくて、何ができるかも、自分の業務にどう活用できるのかも想像がつかなかった。それを一から説明して、イメージを持ってもらって、採用してもらわなければならないから、相手の業務もよく理解する必要があります。
それにオープンソースは部品が無限にある。やろうとしたことはほぼなんでも実現できる。だからグランドデザインがカギなんです。それがたまらなく面白かった。
――SOAのミドルウェアの延長で、アーキテクチャから物事を見ていくようになっていきました。BPMもやっていたので、業務モデリングも得意になって。そこから自然とアーキテクチャのグランドデザインとか、超上流からお客さんをサポートするコンサルのキャリアになっていきました。
いざコンサルの仕事をしてみると、お客様が自分で課題だと思っていることや、問題解決だと思っていることが実は違うということって結構あるんです。でもそれを「教えてあげる」のはおこがましいこと。一緒に視点をさまざまに切り替えて考えていくにはどうしたらいいか、と意識するようになりました。そうするとお客様が新しい発見に出会う瞬間に立ち会える。それは面白いですね。
突き詰めるところが面白い
●横井さんらしいサービス精神ですね
――私、スキーも趣味なんですが、新規事業ってラッセル車に似ているんですよね。新雪の上を最初に平らにする。平らにするにはどれだけの労力がいるかわからない。どこかにくぼみがあるかもしれないし、枝が刺さるかもしれない。そもそもゲレンデにして使いものになるのかもわからない。判断も短いタームでしなければならない。それでも耕していく。
どんな道も歩く先に必ず壁はあります。でも壁の乗り越え方は、一方向だけではないんですよね。例えば「穴をあけて入れないの?」とか「横から回ったらいいじゃないか」とか。全方位で、色々な角度で物事を見る癖は、過去に色々なプロジェクトを経験して、様々な思考の手法を試す中で鍛えられたと感じます。
一度そのアプローチを経験すると、もうそこから興味が薄れちゃう(笑)。だってもうそのアプローチは自分がとことん突き詰めて、試して、実証したこと。私はもう十分味わったんです。だからもうその方法は他の困っている人に渡したくなっちゃう。
ビジネスプロセスとはビジネスとシステムの距離を埋めるもの
●JUASのビジネスプロセス研究会には10年近く参加してくださっています。横井さんにとってビジネスプロセスとは何でしょうか?
――私が日頃感じていたのは、ビジネス側とシステム側との間に大きな距離がある、ということです。だから失敗プロジェクトが生まれてしまうんですね。その距離を埋めたいとずっと思っていました。
ビジネス側とシステム側の両方の立場を私は経験してきたので、それぞれの立場の考え方を、互いに視点を変化させながらつないでいくということを超上流になぞらえてやりたかった。システム側にはビジネスプロセスという言葉を近くに感じてほしかったですしね。それでこの研究会に入りました。メンバーの入れ替えも毎年あるけれど、ざっくばらんに話せるのがいいですね。2年目からは部会長もさせてもらって、最近は事務局さんの期待以上のことまでつい考えたくなってしまう(笑)。例えば研究会活動の成果を広く発表しようとか、研究会間の横連携をしたらどうか、とかね。
情報格差をなくしたい
――情報が不足している人の手助けをしていきたいですね。
例えば地方の製造業にコンサルに回って感じるのは、地方の経営者にとってITの情報が少ないこと。情報システムやそのグランドデザイン、ITをいかに会社の武器にしていくかを助言する、社外CIOのような仕組みがあったらいいなと。情報はキャッチした時に「何に使えるか」と発想したり応用できることが大事ですよね。その第一歩として、情報格差をなくしていくことは経営の選択肢を広げるうえですごく意味のあることかな、と。情報格差が、ひいては誤ったジャッジにつながってしまったらもったいない。何億と損をしてしまうわけですから。失敗から学ぶことも大事だけれど、こと経営者においては、失敗は避けられたほうがいいかなと私は思います。従業員が疲弊してしまいますからね。
最後に、JUASへ一言
●ありがとうございました。では最後にこれからのJUASについて一言お願いします。
――もっと情報発信していってほしいですね。会員の皆さんがどうなってほしいか、ペルソナをイメージして、継続的にシナリオ立てて発信していってもいいんじゃないかな。自分が目指すキャリアの道筋がそれを通じて見えてくるとうれしいのではないかなと思います。
※ 掲載内容は2022年4月取材時のものです。
※インタビューはJUAS・五十井が担当しました。
・1962年設立の「日本データ・プロセシング協会」が前身。
1992年に組織を拡充・改組し、今の「日本情報システム・ユーザー協会」となる。
・主な活動:フォーラム、研究会、セミナー、イノベーション経営カレッジ、企業IT動向調査、JUASスクエア、プライバシーマーク審査
■著作権について
すべてのコンテンツの著作権は、当協会および関係する官公庁・団体・企業などに属しています。
このため、当協会および著作権者からの許可無く、複製、転載、転用等の二次利用を行うことはできません。
なお、内容は執筆時の背景に基づいており、過去の事情が現在も同じとは限らない点がありますのでご注意ください。